俺「どりあえずコレで町田まで電車で行こう」大男「ありがとうございます。これでパンを買って町田まで歩きます…」

シリーズ名
町民プールで鮪釣り (毎週火曜日更新)
話数
第108回
著者
ラッシー
それは数年前の夏のことである。俺は朝方までの仕事を終え、自宅に帰るところだった。その日は暑く、直射日光をなるべく避けながら歩いていた。そして、自宅まで残り200mほどのところで足が止まった。


大男がいる…。


道路の隅の電信柱の陰に、身長185cmはありそうな大男がいた。歳は20代半ばから30代前半くらいか。

俺は極めて慎重な性格である。石橋を叩いて渡るどころか、石橋にヒビが入るほど叩いてしまう性格だ。駅のホームで電車を待つ際も、常に背後を気にしている。


犯人「ムシャクシャしていた。誰でもよかった」


そういった局面に出くわしても命を守るため、常に気を付けて生活している。このときも例に漏れず、大男から最大限の距離をとり通過しようとしたのだが…。


大男「すみません、ちょっとお訊ねしたいのですが」

「…(あ、来た)」


遡ること、およそ20年。俺は闇討ちにあった経験がある。あまり詳しく書きたくないが、俺は実家の地元駅で、地元民ではない2人組に襲われた。

俺は地元の街の地理を完璧に把握していたため、余所の人間では追跡できないような経路を逃げ回り、交番へと駆け込んだ。まあ、交番は無人だったけど(田舎の交番は警察官が巡回に出ると無人になる)。そんなこともあり、俺は常に周りを警戒しながら歩いているのだ。


その大男は身長が高いだけではない。体重は100キロ近くありそうだし、肌は黒く焼けている。いざとなれば、俺は数秒でアスファルトに沈むだろう。必然、俺は身構えた。


大男「あの〜、町田の方向はどちらですか?」


聞いたことのある独特なイントネーション。スグに沖縄の人だと分かった。よく見れば、顔も「This is 沖縄」といった雰囲気である。かの地は歴史に残るプロボクサーをたくさん輩出している。俺はいっそうガードを固めた。

しかし、妙である。町田の方向を訊かれるなど、これまでの人生で1度もなかった。しかもこのスマホが当たり前の時代に。スマホがあれば地図を見ればいいし、電車の経路検索も簡単だ。そもそも彼が言う「マチダ」は、俺が知る町田なのだろうか? 俺が知らないだけで、ウチの近所にも「マチダ」という地名があるのかもしれない。


「それ、東京都の町田市のこと?」

大男「そうです。方向を教えてください」


男の声は思いのほか小さかった。攻撃的なタイプではなさそうだ。むしろ少し大人しい印象である。


「町田市はアッチだけど、ここの最寄り駅はこっちだよ」

大男「ありがとうございます。徒歩なので駅は大丈夫です」

「ハァ? と、徒歩!?」


ウチの市は町田市と隣接しているが、ここから町田市までは鉄道でも1時間弱を要する。

徒歩で行くことなど考えたこともないが、今から出発したら、町田に着くころには日付が変わってるかもしれない。ましてやその体格である。とても速く歩けるとは思えないし、昼を過ぎたころには気温も35度を超えるハズだ。


「徒歩はムリだよ」

大男「大丈夫です。ありがとうございます」

「いやいや、ちょっと待て。交番に行けば電車賃くらい借りられるよ」

大男「大丈夫です。歩きます」

「…財布でも落としたの?」


そう訊くと大男は俯き、今にも泣き出しそうな表情で語り始めた。


大男「さっき東京に着いたばかりで、迎えの車に乗ったんです」

「うん…」

大男「そしたら車内で荷物を全部取られ、そこで車から降ろされたんです」

「ただの事件じゃねーか! なおさら警察行こうよ」

大男「いいんです。そんな車に乗ってしまった僕のミスなんで」

「…(いや違うだろ)」

大男「東京…怖いです…」

「俺、田舎から出て来て16年経つけど、そんなこと1度もないぞ」

大男「もう…怖いので自分の足で向かいます」


警察に行かないと言うのなら、もう俺にできることはナイ。


「そこの道を線路沿いにまっすぐ行けば、いずれ道路に町田方面の案内が出て来るから」

大男「ありがとうございます」


そして俺は自宅に帰った。


—昼食時—

俺は大男の話を詳細に家内に話した。


家内「今どき、まだそんな分かりやすい詐欺がいるんだね」

「え!? 詐欺なの?」

家内「決まってんじゃん。小銭を取ろうとしたんでしょ」

「そうか…」

家内「この辺もたまに変な人が出るのよね。幼稚園からも気を付けるようにって、たまに連絡がまわってくるし」

「…気を付けなきゃね」


そうか、詐欺か。身ぐるみを剥がされ、車から捨てられた可哀想な男はいなかったのか。

しかし…本当にそうだろうか。体格はいいが、あのオドオドとした仕草。怯えた目。ウソをついている目とは全然違う。絶望したような表情だった。


家内「じゃあ、レッスンに出掛けるから」

「いってらっしゃい」


習い事へと向かう家内を見送り、次いでパソコンデスクの電源を入れた。今日は急ぎの原稿がある。…しかし、彼が気になって仕方がない。もし彼の言うことが本当なら!? 無事に町田に着けるだろうか? 宿はどうするんだ? 飯は? とても原稿を書ける気分じゃない。

家内が家から離れたのを確認し、自分の財布から500円だけを取り出しポッケに入れた。もしも彼が詐欺師か強盗の類でも、俺の所持金が500円なら、それ以上取られる心配はない。セコいと思われるかもしれないが、俺はサービスも抽選も受けずにお金を取られるのが大嫌いだ。たとえ10円でも、5円だって。


俺は自転車に跨り、彼に教えた道を走り出した。路上で別れてから1時間ほど経った。どれだけ進んだだろう。しかしあの体格だ。そんなに遠くまで行ったとは考え難い。

だが2駅分走っても、彼を見つけることはできなかった。誰か親切な人に拾われ、車に乗せてもらったかもしれない。よし、帰って原稿を書こう! 帰り道も彼の姿を探したが、やはり見つけられなかった。

でも…彼と出会ったのは大通りから1本隣に入った路地だ。そこはまだ見ていない。まさか…。




彼は日陰に座り込んでいた。その表情はさきほどより暗い。


「おっ、まだいたか」

大男「はい。暑いので日が沈んだら出発しようかと」

「やっぱ徒歩はムリだよ。ほら、電車で行きな」


裸の500円玉を差し出したが、彼は受け取ろうとしない。


大男「受け取れません。見ず知らずの方からお金なんて」

「いいから。いつまで町田に着けばいいの?」

大男「町田で宿泊予定のホテルに、明後日荷物が届くんです。それが届けばお金はあるんで」

「エッ!? 明後日までなにも食わずに野宿する気!?」

大男「ええ」

「死ぬぞ!」


俺より遥かに燃費の悪そうな身体だ。耐えられるわけがない。


「電車乗るか、警察行くか決めて」

大男「そんな…」

「すまないが500円しか持ってない。これでとりあえず町田まで行こうよ。あとはそこの親切な人が、きっとどうにかしてくれるから」

大男「う…う…ありがとうございます。これでパンを買って、町田まで歩きます」

「俺の話聞いてた? 電車で行ったほうがいいって」

大男「あなたのような方に、また会えるとは限らないんで」


慎重なのか、そうでないのか——。


「とりあえずコレ」

大男は何度も何度も頭を下げながら、俺が差し出した500円を申し訳なさそうに受け取った。


大男「このご恩は必ずや」

「会いに来られても怖いし、気にしなくていいよ」

大男「は、はい…せめてお名前だけでも」

「…(時代劇かよ)。俺のはいいから、アナタの名前と連絡先教えて」

大男「もちろんです!」


俺が手帳とペンを手渡すと、大男は思いのほか綺麗な字でスラスラと連絡先を記入した。氏名・住所・電話番号…。とある観光名所の離島に住んでいるようだ。


「〇〇島なんだ?」

大男「はい。いつもは〇〇島で漁師をしていますが、出稼ぎに来まして」

「へ〜、その初日でこんな目に…」

大男「東京は思っていた以上に怖いところでした。○○島にお越しの際は、ぜひ漁協にお立ち寄りください。そこで僕の名前を言っていただけたら、獲れたての魚をたくさんごちそうします! 必ず!」

「うん…ありがとう(俺、魚食べられないんだよなぁ)」


これは善行ではない。偽善とさえも言えない。ただの自己満足だ。家内の言う通り、彼は詐欺師だったかもしれない。俺はそれにまんまとダマされ、500円を取られたのかもしれない。でも、それでいい。

あのまま悶々としながら原稿を書くより、アイツどうなったかなと思いながら過ごしたほうが気が楽だ。こんな経験はそうそう無い。俺は彼の話をエンターテイメントと捉え、その対価として500円を払った。それでいいじゃないか。


その後、彼はどうなっただろう。今もどこかで小銭をタカっているだろうか。それとも地元に戻り、毎日海に出ているだろうか。もしもこれから先〇〇島へ行くことがあれば、その答え合わせをしようと思う。魚はいらないけど。