【特別コラム】悪☆味 回想の刻
- シリーズ名
- 悪☆味の『ちょっといい話(仮)』 (毎週日曜日更新)
- 話数
- 第91回
- 著者
- 悪☆味
※2017/2018年の年末年始特別企画ということで全ライター共通テーマで書いています
いたって普通の子供だったので、特筆するようなエピソードもありません。
東京の下町に生まれ、俗に言うチャキチャキの江戸っ子ってやつです。
ちなみに、「ちゃきちゃき」は嫡男嫡男からきているらしく、つまり3代続けて下町育ち、親父も自分も長男である場合のみチャキチャキの江戸っ子となるらしいのですが、自分はまさにチャキチャキの江戸っ子ですわ。
江戸っ子というと宵越しの銭は持たねぇみたいなイメージがありますが、うちは貧乏だったので、普通に銭がなかったです…。
なお、おそらく初めてパチンコ屋に入ったのが小学生の頃で、親父の隣で手打ちのパチンコを打った記憶がかすかにあります。
やはりいたって普通の中学生だったので、特筆するようなエピソードはない。
編集部の人間はどうしても不良的なエピソードを引き出したがるのだけど、そもそも別に不良じゃなかったですからね。
「悪☆味」というライターネームだって、編集部で働きはじめた当時の編集長が「君、悪そうだよねっ」って、勢いでつけられたんだから迷惑な話ですよ。
で、パチンコ・パチスロ関連でいえば、中学2年生くらいの時に先輩にパチンコ屋へ連れていってもらったような記憶がある。
打ったのはハネモノの「ビッグシューター」だったんだけど、あまりパチンコの歴史には詳しくないので、それが初期のものか後継機だったのかは不明です。
ニュービッグシューター(平和)
いたって普通の高校生でした。
スケボーしたり、バイクで走り(暴走族ではない)に行ったり、クラブでパーティー(語尾は上げてね)したり、健全かどうかはわからないけど、その当時の高校生で流行っていた遊びを自分も同じようにやっていました。
初めてパチスロを打ったのがこの頃だったと思う。
いつもはパチンコしか打たなかったのだけど「モーニングが入っているから」と知り合いに教えてもらって、「マジカルベンハー」を打ったのが最初。
ただ、実際にパチスロの面白さに気づいてハマる切っ掛けとなったのは、その後に打った「リノ(小役落ちVer.)」だったんですけどね。
リノ(ニイガタ電子)
高校卒業を控えて、重大な事実が発覚したんですよ。
…それは卒業に必要な単位が足りないってこと。
ここまで通っておいて退学するのは嫌だし、留年するのはもっと嫌だったので、担任に掛け合って「大学に受かったら卒業させてくれ」という願いを受け入れてもらった。
勉強はまったくと言っていいほどしてこなかった人生ですが、不思議とテストだけはそれなりにできたんですよね。言わば、天才ってやつですわ(笑)。
だから、大学も選ばなければ受かるだろうと考えていたんだけど、連続で2、3校で落ちて、これはさすがに厳しいだろう、と…。
で、最後の最後に某3流大学を追加で受けて、なんとか合格することができた。
どうせなら文学部に行きたかったけど、立て続けに落ちたものだから、最後は経済学部を選んでなんとか合格…って感じでした。
ずっとパチスロを打ってました。
週6くらいでホールに行って、大学にはほとんど行ってなかった。酷いときは年5〜6回しか行かなかったので、当然のように留年して、1年余分に大学生を満喫しましたね。
当時は親戚がやっている飲食店も手伝っていて、本当に毎日が「朝はパチスロ→夕方からバイト」の繰り返し。
千葉に1人暮らし用のマンションを借りて、学費も自分で払っていたけど、パチスロの勝ち分とバイト代でそれが賄えたんだから、キンパルとかのストック機や爆裂AT機など…当時のパチスロがどれだけ甘かったのかということやね。
キングパルサー(山佐)
ここまで書いてきて思ったけど、パチスロと出会って以降の悪☆味遍歴は全て、過去のコラムに記しているんだよね。
もし興味がある読者様がいればさかのぼってみてくださいな。
大学卒業後は半年間、パチスロの収支のみで生活→その後、就職の内定を断って辰巳出版の編集部で働き始めました。
※2005年「パチスロオリジナル必勝法スペシャル」より
1年間編集部で働いたあとは、そのままライターに転身。
このあたりの経緯も過去のコラムに書いてあります。
当然、ライターをやっている間にもいろいろとあったわけですが、あらためてアレコレ言うようなことはないかな。
幸せな時間を過ごさせてもらったし、本当に楽しかった。今になって思うのは、良い時期にライターをやれたなって。
攻略ライターからスタートして、途中で3年間ほど休みをもらい、また攻略ライターとして復帰したものの、ほんの数年で攻略ライターを卒業。
で、ライターとしてはほとんど仕事がなくなり、仕事がないから毎日パチスロを打つようになった。
そこでいろいろと思うことがあり、編集部と話をした結果、誌上プロとして仕事をさせてもらうようになり、そして現在に至る、といった感じです。
本当に自由にやらせてもらってきたので、仕事面に対しては不満などないし、現状にそれなりに満足している。
かといって、今後もずっとこのままで良いのかと問われると、それはまた考えてしまうところで…。
ただ、ライターとして仕事しているうちは、業界全体が良い方向に進んでもらえるように、何か少しでもそういった部分を意識した活動をしていきたいなと思う。
これまでのライター人生が幸せだったから、その恩返しをしたいという気持ちもあるし、できることならこのまま骨を埋められるような業界になってもらいたいから。
●誕生〜小学生時代
いたって普通の子供だったので、特筆するようなエピソードもありません。
東京の下町に生まれ、俗に言うチャキチャキの江戸っ子ってやつです。
ちなみに、「ちゃきちゃき」は嫡男嫡男からきているらしく、つまり3代続けて下町育ち、親父も自分も長男である場合のみチャキチャキの江戸っ子となるらしいのですが、自分はまさにチャキチャキの江戸っ子ですわ。
江戸っ子というと宵越しの銭は持たねぇみたいなイメージがありますが、うちは貧乏だったので、普通に銭がなかったです…。
なお、おそらく初めてパチンコ屋に入ったのが小学生の頃で、親父の隣で手打ちのパチンコを打った記憶がかすかにあります。
●中学生時代
やはりいたって普通の中学生だったので、特筆するようなエピソードはない。
編集部の人間はどうしても不良的なエピソードを引き出したがるのだけど、そもそも別に不良じゃなかったですからね。
「悪☆味」というライターネームだって、編集部で働きはじめた当時の編集長が「君、悪そうだよねっ」って、勢いでつけられたんだから迷惑な話ですよ。
で、パチンコ・パチスロ関連でいえば、中学2年生くらいの時に先輩にパチンコ屋へ連れていってもらったような記憶がある。
打ったのはハネモノの「ビッグシューター」だったんだけど、あまりパチンコの歴史には詳しくないので、それが初期のものか後継機だったのかは不明です。

ニュービッグシューター(平和)
●高校生時代
いたって普通の高校生でした。
スケボーしたり、バイクで走り(暴走族ではない)に行ったり、クラブでパーティー(語尾は上げてね)したり、健全かどうかはわからないけど、その当時の高校生で流行っていた遊びを自分も同じようにやっていました。
初めてパチスロを打ったのがこの頃だったと思う。
いつもはパチンコしか打たなかったのだけど「モーニングが入っているから」と知り合いに教えてもらって、「マジカルベンハー」を打ったのが最初。
ただ、実際にパチスロの面白さに気づいてハマる切っ掛けとなったのは、その後に打った「リノ(小役落ちVer.)」だったんですけどね。

リノ(ニイガタ電子)
●高校卒業間際
高校卒業を控えて、重大な事実が発覚したんですよ。
…それは卒業に必要な単位が足りないってこと。
ここまで通っておいて退学するのは嫌だし、留年するのはもっと嫌だったので、担任に掛け合って「大学に受かったら卒業させてくれ」という願いを受け入れてもらった。
勉強はまったくと言っていいほどしてこなかった人生ですが、不思議とテストだけはそれなりにできたんですよね。言わば、天才ってやつですわ(笑)。
だから、大学も選ばなければ受かるだろうと考えていたんだけど、連続で2、3校で落ちて、これはさすがに厳しいだろう、と…。
で、最後の最後に某3流大学を追加で受けて、なんとか合格することができた。
どうせなら文学部に行きたかったけど、立て続けに落ちたものだから、最後は経済学部を選んでなんとか合格…って感じでした。
●19〜22歳
ずっとパチスロを打ってました。
週6くらいでホールに行って、大学にはほとんど行ってなかった。酷いときは年5〜6回しか行かなかったので、当然のように留年して、1年余分に大学生を満喫しましたね。
当時は親戚がやっている飲食店も手伝っていて、本当に毎日が「朝はパチスロ→夕方からバイト」の繰り返し。
千葉に1人暮らし用のマンションを借りて、学費も自分で払っていたけど、パチスロの勝ち分とバイト代でそれが賄えたんだから、キンパルとかのストック機や爆裂AT機など…当時のパチスロがどれだけ甘かったのかということやね。

キングパルサー(山佐)
●23〜24歳
ここまで書いてきて思ったけど、パチスロと出会って以降の悪☆味遍歴は全て、過去のコラムに記しているんだよね。
もし興味がある読者様がいればさかのぼってみてくださいな。
大学卒業後は半年間、パチスロの収支のみで生活→その後、就職の内定を断って辰巳出版の編集部で働き始めました。
●24歳以降

1年間編集部で働いたあとは、そのままライターに転身。
このあたりの経緯も過去のコラムに書いてあります。
当然、ライターをやっている間にもいろいろとあったわけですが、あらためてアレコレ言うようなことはないかな。
幸せな時間を過ごさせてもらったし、本当に楽しかった。今になって思うのは、良い時期にライターをやれたなって。
●現在

攻略ライターからスタートして、途中で3年間ほど休みをもらい、また攻略ライターとして復帰したものの、ほんの数年で攻略ライターを卒業。
で、ライターとしてはほとんど仕事がなくなり、仕事がないから毎日パチスロを打つようになった。
そこでいろいろと思うことがあり、編集部と話をした結果、誌上プロとして仕事をさせてもらうようになり、そして現在に至る、といった感じです。
●未来
本当に自由にやらせてもらってきたので、仕事面に対しては不満などないし、現状にそれなりに満足している。
かといって、今後もずっとこのままで良いのかと問われると、それはまた考えてしまうところで…。
ただ、ライターとして仕事しているうちは、業界全体が良い方向に進んでもらえるように、何か少しでもそういった部分を意識した活動をしていきたいなと思う。
これまでのライター人生が幸せだったから、その恩返しをしたいという気持ちもあるし、できることならこのまま骨を埋められるような業界になってもらいたいから。