【特別コラム】運留 回想の刻
- シリーズ名
- 運留のふっといでぇ (毎週土曜日更新)
- 話数
- 第105回
- 著者
- 運留
※2017/2018年の年末年始特別企画ということで全ライター共通テーマで書いています
わたくし運留。両親の実家である、とある温泉街でオギャ—と産湯をつかいまして…。土地柄、博打だ! ピンクだ! 酒のみだ! の遊び人気質は生まれつき。10分あればひと勝負のナチュラルボーンパチンコ打ちとして生を受けたわけです。
小学生の頃、家族で行った縁日の夜店で手打ちのパチンコを弾いた記憶が原風景。あの時もらったキャラメルの味が忘れられずに今もパチンコ屋に通っております。
音楽の先生が「今日は皆で何を歌おうか〜!?」と問うので「天才バカボンのテーマ〜!」と皆が応え、「タリラリラ〜ンのコニャニャチワ〜」と大合唱が始まるような平和な中学校。
ビーバップハイスクールだ、スクールウォーズだ、とヤンキーが一世を風靡し、大阪の街でパチンコ玉を投げればヤンキーにぶつかる時代。でも中学生運留とその仲間たちは、時代に流される事なく独自の道を歩んでいたのでした。
シロウナギイヌを見ると、今でも音楽の授業を思い出す。
初めてのデートは映画館で「バックトゥザフューチャー3」。女の子と2人で歩くのなんて初めてで、心臓がバクバクしていました。今の精神年齢のままあの日に帰りたい。
悪い仲間に誘われてパチ屋に入ったのもこの時期。羽根モノをちょいと打った帰り道、体についたタバコの臭いが無性に気になったのを覚えています。
大学進学で上京し、下宿暮らし。
この頃から本格的にパチンコに大ハマリ。道路工事やモンローなんかの羽根モノからスタートして、打ち止め目指してシコシコやっていました。
大学へ行く駅前にパチンコ屋が3軒並んでおり、ハードル競争のようにここをクリアするのが毎日のミッション。
1軒目は等価の鉄火場ホール。学生の身分では手を出せずスルー。2軒目はエキサイトやアレジンなんかのモーニングを狙える機種が多い店。ここで後ろ髪を引かれるがグッと耐える。しかし3軒目の半開きの入口から聞こえる夢夢ちゃんの「サンキョーで〜す!」という声が聞こえると、ついに耐え切れず入店。
なんてパターンを繰り返してたな〜。大学ノートの隅っこにパチスロのパルサーのリーチ目を落書きしてニヤニヤしていたのを思い出します。
とある教育ソフトの営業として就職。仕事帰りや休日にパチンコを楽しむ毎日だったが、本作りへの憧れが捨てきれず2年で退職。しかし本作りへの憧れとかなんとかいいながら、1年ほどのパチンコ暮らしに突入する。
あっちの店が良いらしい、こっちの店が良いらしいとあっちゃこちゃパチ屋通いを繰り返していたが、こりゃサラリーマン時代よりサラリーマンっぽいやん!? と気づいてパチンコ暮らしを卒業。たまたまパチプロ必勝本に出ていた編集者募集の記事をみつけて応募することに。
同時に別のパチンコ雑誌でも募集が出ていて、こちらでも1週間ほどお世話になったのは秘密のお話。
最初に配属されたのは「パチスロ必勝本」だったが、目押しが全く出来ないことが即バレてクビに。その後、今は亡き「パチンコ完全データ」だとか「スーパーリーチマニア」「パチプロ必勝本」などを担当する。
機種でいえばフィーバゼウスだとか初代のルパン三世が登場してきた時代。ちょうど5回リミッターが解除されてパチンコ業界が沸いた時期ですな。
そんな中、「パチンコオリジナル必勝法」が誕生。以来20年近く「オリ法」と共にパチンコ雑誌界で生きております。
根っからのパチンコ好きはそのままに、現在も基本週5はパチ屋で打っております。
この台はオモロイ、この台はここがダメ! なんて言いながら誌面に反映させる毎日ですが、パチンコ雑誌を作る者がパチンコを打たなくなったら終わりだもんね。
パチンコと知り合って約四半世紀。この先も、パチンコがなくなるまでず〜っと打ち続けると思います。
●誕生〜小学生時代

わたくし運留。両親の実家である、とある温泉街でオギャ—と産湯をつかいまして…。土地柄、博打だ! ピンクだ! 酒のみだ! の遊び人気質は生まれつき。10分あればひと勝負のナチュラルボーンパチンコ打ちとして生を受けたわけです。
小学生の頃、家族で行った縁日の夜店で手打ちのパチンコを弾いた記憶が原風景。あの時もらったキャラメルの味が忘れられずに今もパチンコ屋に通っております。
●中学生時代

音楽の先生が「今日は皆で何を歌おうか〜!?」と問うので「天才バカボンのテーマ〜!」と皆が応え、「タリラリラ〜ンのコニャニャチワ〜」と大合唱が始まるような平和な中学校。
ビーバップハイスクールだ、スクールウォーズだ、とヤンキーが一世を風靡し、大阪の街でパチンコ玉を投げればヤンキーにぶつかる時代。でも中学生運留とその仲間たちは、時代に流される事なく独自の道を歩んでいたのでした。
シロウナギイヌを見ると、今でも音楽の授業を思い出す。
●高校生時代

初めてのデートは映画館で「バックトゥザフューチャー3」。女の子と2人で歩くのなんて初めてで、心臓がバクバクしていました。今の精神年齢のままあの日に帰りたい。
悪い仲間に誘われてパチ屋に入ったのもこの時期。羽根モノをちょいと打った帰り道、体についたタバコの臭いが無性に気になったのを覚えています。
●大学生時代

大学進学で上京し、下宿暮らし。
この頃から本格的にパチンコに大ハマリ。道路工事やモンローなんかの羽根モノからスタートして、打ち止め目指してシコシコやっていました。
大学へ行く駅前にパチンコ屋が3軒並んでおり、ハードル競争のようにここをクリアするのが毎日のミッション。
1軒目は等価の鉄火場ホール。学生の身分では手を出せずスルー。2軒目はエキサイトやアレジンなんかのモーニングを狙える機種が多い店。ここで後ろ髪を引かれるがグッと耐える。しかし3軒目の半開きの入口から聞こえる夢夢ちゃんの「サンキョーで〜す!」という声が聞こえると、ついに耐え切れず入店。
なんてパターンを繰り返してたな〜。大学ノートの隅っこにパチスロのパルサーのリーチ目を落書きしてニヤニヤしていたのを思い出します。
●社会人時代

とある教育ソフトの営業として就職。仕事帰りや休日にパチンコを楽しむ毎日だったが、本作りへの憧れが捨てきれず2年で退職。しかし本作りへの憧れとかなんとかいいながら、1年ほどのパチンコ暮らしに突入する。
あっちの店が良いらしい、こっちの店が良いらしいとあっちゃこちゃパチ屋通いを繰り返していたが、こりゃサラリーマン時代よりサラリーマンっぽいやん!? と気づいてパチンコ暮らしを卒業。たまたまパチプロ必勝本に出ていた編集者募集の記事をみつけて応募することに。
同時に別のパチンコ雑誌でも募集が出ていて、こちらでも1週間ほどお世話になったのは秘密のお話。
●辰巳出版時代
最初に配属されたのは「パチスロ必勝本」だったが、目押しが全く出来ないことが即バレてクビに。その後、今は亡き「パチンコ完全データ」だとか「スーパーリーチマニア」「パチプロ必勝本」などを担当する。
機種でいえばフィーバゼウスだとか初代のルパン三世が登場してきた時代。ちょうど5回リミッターが解除されてパチンコ業界が沸いた時期ですな。
そんな中、「パチンコオリジナル必勝法」が誕生。以来20年近く「オリ法」と共にパチンコ雑誌界で生きております。
●現在〜未来
根っからのパチンコ好きはそのままに、現在も基本週5はパチ屋で打っております。
この台はオモロイ、この台はここがダメ! なんて言いながら誌面に反映させる毎日ですが、パチンコ雑誌を作る者がパチンコを打たなくなったら終わりだもんね。
パチンコと知り合って約四半世紀。この先も、パチンコがなくなるまでず〜っと打ち続けると思います。