亡くなる前日までパチンコを打ちに来ていた『中根小町』と、23歳のパチンコ店員にまつわる物語
- シリーズ名
- 現役ホールマネージャーだけど、なんか聞きたいことある? (毎週日曜日更新)
- 話数
- 第56回
- 著者
- アタマキタ
舞台は今から18年も前、東京のとあるパチンコ店。当時のパチンコ店員としては珍しい、23歳という若い青年にまつわる物語である。
彼の10代の記憶はパチンコに埋め尽くされているといっても過言ではないほどにパチンコ漬けで、学校など二の次三の次。一発台全盛期などは、数軒の店を掛け持ちして朝から釘を見て回る。それこそが彼にとっての日常だった。
もちろん、単なる酔狂でそんなことをしていたわけではない。当時のパチンコは「釘が全て」と言って良いほどに重要で、その調整を見破れる者は絶対的勝者であり、そうでない者は永遠の敗者となる。そんな中で彼は勝者の側に立っていた、というわけだ。
いつしか彼は「パチプロ」と呼ばれ、いっぱしのゴロツキとなる。平日は朝から晩までパチンコに明け暮れたと思えば、日曜ともなれば一日競馬三昧。自堕落の極地と言われればその通りだろうが、パチンコが好きだという気持ちだけは本物だったため、その生活から抜け出すことはできなかった。
しかしそんな暮らしの中で出会う人間といえば、「ラーメン屋」「ヒゲ」「ノッポ」などと呼ばれる住所も素性も分からぬパチプロばかり。しかも彼らの話題の中心は常に、フィリピンパブの女がどうとか、遠征してきたプロを脅して金をむしり取ってきたとか、およそくだらないものばかり。
これだけとってみても、パチプロという存在がいかに世間と隔絶されているかが窺い知れるが、彼も同じ穴の貉。そこに気づくと、さすがに自身の境遇に疑問を抱き始めたのだ。
そこからも紆余曲折あるのだが、蛇の道は蛇ということなのか、青年は立場を変えてホール店員として働くことになる。
とはいえ、不良客の巣窟とも言えるようなホールでの接客仕事もなかなか悲惨なものだった。あいにく青年は負けん気が強かったから、ちょっとでも台を叩く客がいれば容赦なく文句を浴びせ、客とは思わずに威嚇しまくっていた。
「いま台を叩いたろ? 出ても没収してやるからな!」
それでも言うことを聞かない客には、嬉々として「出入り禁止」を宣告していく。むしろ物陰に隠れて様子を探り、台を叩いた瞬間に「出禁確定だな!」と言って歩くようなタイプで、どちらかといえばクソ店員に属するだろう。
そもそもその青年自身がついこの前までそちら側の人間だったことが大きく影響していた。彼は面倒を起こす客についてはまともな人間とは思っていなかったし、実際にゴト師やら詐欺師やらヤクザやらが跳梁跋扈していたのが当時のパチンコ屋。血気盛んな若者の心がささくれ立つのを責めるわけにはいかないかもしれない。
そんな彼の前に、彼の考え方を根底から覆すようになる人間が現れるのだが、彼はまだそのことを知らない。
いつものように開店と同時に手動のドアを開けると、先頭には常連の1人である年配のおばあちゃんが立っていた。腰は見事なまでに曲がり、歩き方もヨタヨタ。おそらく90歳近いのではないか。
彼女は店員達から『ばあさん』と呼ばれていたため、青年もそれに倣って声をかけた。すると、「ばあさんじゃない! 中根小町と言いなさい。若い時は、この辺の男どもはみんな私に夢中だったんだから!」と言い返され、内心、また面倒が増えたぜ…と思ったものだ。
「小町」などという時代ががった呼び方はもちろん、そもそもそんな面影のないことに違和感を覚えたが、しぶしぶ彼は「中根小町」の言うことに従った。
中根小町は非常に手がかかる客で、面倒なのは呼び方にとどまらない。まず、自分では何ひとつやろうとしないのだ。打つ台すら自分で選ぶことはなく突っ立っているだけ。それを見て主任がフォローに入る…というのがいつもの流れとなる。
まずは主任が中根小町から1万円札を受け取り、両替した1万円分の100円玉をポーチに入れて手渡す。それから台を決めて誘導してあげるのだ。
そこで終わりではない。台を決めたらハンドルを固定してやり、玉も買ってやる。いっぺんに3千円分の玉を買って上皿下皿をパンパンにし、余った玉はドル箱に入れておく。そこまで整ってやっと、中根小町は着席してくれる。
青年が主任に色々聞いてみると、主任は適当に台を選んでいるということだった。「玉が飛べば満足だから」ということらしい。玉を3千円分まとめて買うのも、いちいち買い足しさせられるのが面倒だという理由だった。確かに彼女が来店するたびにそんな手間をかけさせられたらそういう対応になるのも当然か…。
そんな一連のやり取りを「面倒だろうな…」と思いつつも、一方で青年は、彼女はこれでパチンコを楽しめているのか? それどころかパチンコ店の餌食じゃないか! という疑問と理不尽を感じた。人間性を失いかけていた青年に、仄かな炎が灯ったのはこの時かもしれない。
そうこうしているうちに、彼女の担当がその青年に移ってきた。なぜかは分からないが、彼女が青年に自分の世話をするように指名したらしい。もしかすると、面倒になった主任がばあさんを言いくるめ、新人にお荷物を押し付けただけなのかもしれない。
いずれにせよ、その役割に対して彼は葛藤することになる。世話自体は良いとしても、元来パチプロというゴロツキをしていたせいもあって、必死に釘を見てしまう習性がある。変なプライドが邪魔をして、平気な顔をしてクソ台に誘導できるような性分ではなかったのだ。そこへ以前浮かんだ疑問と理不尽さへの想いが重なる。これまでと同じように適当な台を選んで金がなくなるまで座らせておくべきなのか?
翌日の朝、必死で釘を睨み、羽物コーナーで一番出そうな台を選ぶ青年の姿があった。そして気付けば、それが毎日の日課となっていった。
開店を迎え小町の姿を捉えると、空き台の中から事前に見繕っておいた台のハンドルを固定し、これまでの1/10、300円分の玉を買う。そしてぶっこみにバネを合わせてセット完了。それから中根小町を呼びに行き、席に座ってもらう。
さて、お膳立てを整えたら後は御勝手に…というわけにもいかない。他の仕事をしていても、中根小町の台が気になってしまうのだ。玉はなくなってないか? 変な打ち方をしてないか? 大負けしてないか? さながら自分自身でパチンコを打っているような気分である。また、出なければ申し訳ないという気持ちで一杯になるし、かといって出てしまえば店に文句を言われないかとヒヤヒヤもした。
一方の中根小町はというと、青年の気持ちなど関係ないとばかりに、無表情のまま台を見つめているだけ。出ようが負けようがお構いなしだ。しかし大当たりをしたときだけは、しわくちゃな顔がもっとしわくちゃになるほどに破顔する。その笑顔が印象的だった。
そんな日々が続いていたのだが、ある日、中根小町が帰り際に青年に声をかける。
「あなたはとっても真面目ね。いつも一生懸命でありがとね。ここんとこ毎日パチンコに来るのが楽しいよ」
その告白があまりに唐突だったため、青年はきょとんとしてしまったようだが、すぐに嬉しさがこみあげ、思わず彼から笑顔がこぼれる。
「ふふ。いい顔してるね。いつもそうしていなさい」
酷い不良客の相手に明け暮れた彼にとって、掛け値なしの笑顔の出番はそう多くはないし、単純に苦手だった。とはいえ誠意を持って働いているという自負はあったため、彼女に褒められたことが素直に心に届いた。自分を見てくれているお客様がいるということが何より嬉しかったのだ。と同時に、自分にそういう一面があることにも驚かされた。いや、気付かされたのかもしれない。
その何気ない一言を契機に、彼は少しづつ変わっていく。役物の電球が切れている台をみつけると、閉店後、他に電球切れがないかと朝までかけて全台をチェック。汚いセル盤を見かけたら、その日のうちに掃除をした。常連の不良客は相変わらず苦手だったが、以前とは違って言葉遣いには気を付けるようになった。
そうした働きが認められ、入社から半年が経過するころに彼は主任へと昇格。そして初めて機械の調整を任された。3台だけではあったが、花鳥風月という西陣のセブン機だ。
釘調整を教えてくれる人は誰もいなかったので、何度も何度も調整しては失敗し、試し打ちを繰り返してはやり直す。たった3台でも、閉店後から調整を始めて納得いくものに仕上がるのは毎朝6時だ。それでも念願の釘調整ができて嬉しかった。
しかし調整が終われば安心というわけでもない。開店すれば開店したで、自分の調整した台を打っている人が気になったし、ハンドルや玉飛び、スピーカーの調子など、あらゆるものが気になってしまう。
そういったこまごまとしたものに気をかけ、また直接お客様から話を聞いていくうちに、いつしか青年は誰とでも笑顔で話せるようになっていたのである。
そうして青年の仕事が順調に回り始めると、そのきっかけを作ってくれた中根小町が急に店に来なくなってしまった。当然その不在が気にはなるのだが、住所も名前も知る由もない。所詮、お客さんと店員の関係などその程度のものだ…。
もやもやとしたまま数日を過ごすと、中根小町の娘という人がホールにやってきて、彼女が亡くなったということを知らされた。信じられないという気持ち、やり場のない悲しみが体を重く包み、彼女とのやりとりが頭を巡っていく。
話を聞くと、どうやら亡くなる前日までパチンコを打ちに来ていたとのこと。そして家ではパチンコについてとても楽しそうに話しているので、家族としては止める気にはなれず、結局最期まで自由にさせていたらしい。
娘さんは、一連のエピソードを青年に伝えると「どうも有難うございました」と深々とお辞儀をして帰ろうとする。今や主任となった青年も「わざわざお知らせいただきましてありがとうございます」と祈りを込めて深く頭を下げる。そしてお互いが向き直り、目を合わせると…
「アタマキタさん...ですか?」
不意に娘さんがこう言うのである。驚きながらも自分が軽く頷くと、「母が大変お世話になりました」と改めてお礼の言葉をいただいた。
「足が悪かった母は、いつもヘルパーさんとここに通っていました。しかし最近は調子が良くなってきて一人で出掛けるようになったんです」
そう言えば確かにそうだ。当初は一緒に来ていたヘルパーさんを最近は見かけないことを思い出した。
「生前、母は『アタマキタちゃんっていうやんちゃな若い店員さんがいるんだけどね。最近その子が私のために頑張ってくれてね。すごく可愛い笑顔をするようになったからなるべくお店に行くようにしているのよ』と楽しそうに話していました」
娘さんからその言葉を聞いた途端、彼の視界は滲んでいた。涙が溢れて止まらなかった。どうしてか分からないがただただ泣けてきた、人目も憚らず。涙を止められなかった。
あれから26年、今もなお自分はパチンコ店で働いている。そして1つ、心の中に大切にしている言葉がある。
「すべての行動は、お客様のために」
この言葉は、上辺だけだといかにも空虚に聞こえるかもしれないが、あらゆる要素がここに凝縮しているように思う。誰かから聞き齧って、訳知り顔で教訓を垂れているわけではない。自分の人生を新たなものに塗り替えたと心から思える言葉なのだ。
ひとりひとりのお客様には人生があり、ドラマもある。働くスタッフだって同じことだ。出会いもあれば別れもある。スタッフにせよお客様にせよ永遠ではないし、この日の出会いが最後かも知れない。
それでも、そんな儚い関係性であったとしても、パチンコ屋という限られた空間だとしても、心に残る想い出がたったひとつでもあれば幸せなんじゃないか、と。そんな想いが、今も自分を支えてくれています。もちろんこれはパチンコ屋に限った話ではなく、あらゆる仕事に通じるものだと思います。
「永遠に心に残る一瞬を大切にすること」
これも自分がパチンコ店から学んだこと。だからこそ「接客」には手を抜いてはならない。ホールに立つ機会はほとんどなくなった今でも、「すべての行動はお客様のために」という言葉を部下に伝え続けています。
どうしようもない店員だった私の心に明かりを灯してくれた「中根小町」に、心から感謝いたします。ありがとうございました。
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彼の10代の記憶はパチンコに埋め尽くされているといっても過言ではないほどにパチンコ漬けで、学校など二の次三の次。一発台全盛期などは、数軒の店を掛け持ちして朝から釘を見て回る。それこそが彼にとっての日常だった。
もちろん、単なる酔狂でそんなことをしていたわけではない。当時のパチンコは「釘が全て」と言って良いほどに重要で、その調整を見破れる者は絶対的勝者であり、そうでない者は永遠の敗者となる。そんな中で彼は勝者の側に立っていた、というわけだ。
いつしか彼は「パチプロ」と呼ばれ、いっぱしのゴロツキとなる。平日は朝から晩までパチンコに明け暮れたと思えば、日曜ともなれば一日競馬三昧。自堕落の極地と言われればその通りだろうが、パチンコが好きだという気持ちだけは本物だったため、その生活から抜け出すことはできなかった。
しかしそんな暮らしの中で出会う人間といえば、「ラーメン屋」「ヒゲ」「ノッポ」などと呼ばれる住所も素性も分からぬパチプロばかり。しかも彼らの話題の中心は常に、フィリピンパブの女がどうとか、遠征してきたプロを脅して金をむしり取ってきたとか、およそくだらないものばかり。
これだけとってみても、パチプロという存在がいかに世間と隔絶されているかが窺い知れるが、彼も同じ穴の貉。そこに気づくと、さすがに自身の境遇に疑問を抱き始めたのだ。
そこからも紆余曲折あるのだが、蛇の道は蛇ということなのか、青年は立場を変えてホール店員として働くことになる。
とはいえ、不良客の巣窟とも言えるようなホールでの接客仕事もなかなか悲惨なものだった。あいにく青年は負けん気が強かったから、ちょっとでも台を叩く客がいれば容赦なく文句を浴びせ、客とは思わずに威嚇しまくっていた。
「いま台を叩いたろ? 出ても没収してやるからな!」
それでも言うことを聞かない客には、嬉々として「出入り禁止」を宣告していく。むしろ物陰に隠れて様子を探り、台を叩いた瞬間に「出禁確定だな!」と言って歩くようなタイプで、どちらかといえばクソ店員に属するだろう。
そもそもその青年自身がついこの前までそちら側の人間だったことが大きく影響していた。彼は面倒を起こす客についてはまともな人間とは思っていなかったし、実際にゴト師やら詐欺師やらヤクザやらが跳梁跋扈していたのが当時のパチンコ屋。血気盛んな若者の心がささくれ立つのを責めるわけにはいかないかもしれない。
そんな彼の前に、彼の考え方を根底から覆すようになる人間が現れるのだが、彼はまだそのことを知らない。
いつものように開店と同時に手動のドアを開けると、先頭には常連の1人である年配のおばあちゃんが立っていた。腰は見事なまでに曲がり、歩き方もヨタヨタ。おそらく90歳近いのではないか。
彼女は店員達から『ばあさん』と呼ばれていたため、青年もそれに倣って声をかけた。すると、「ばあさんじゃない! 中根小町と言いなさい。若い時は、この辺の男どもはみんな私に夢中だったんだから!」と言い返され、内心、また面倒が増えたぜ…と思ったものだ。
「小町」などという時代ががった呼び方はもちろん、そもそもそんな面影のないことに違和感を覚えたが、しぶしぶ彼は「中根小町」の言うことに従った。
中根小町は非常に手がかかる客で、面倒なのは呼び方にとどまらない。まず、自分では何ひとつやろうとしないのだ。打つ台すら自分で選ぶことはなく突っ立っているだけ。それを見て主任がフォローに入る…というのがいつもの流れとなる。
まずは主任が中根小町から1万円札を受け取り、両替した1万円分の100円玉をポーチに入れて手渡す。それから台を決めて誘導してあげるのだ。
そこで終わりではない。台を決めたらハンドルを固定してやり、玉も買ってやる。いっぺんに3千円分の玉を買って上皿下皿をパンパンにし、余った玉はドル箱に入れておく。そこまで整ってやっと、中根小町は着席してくれる。
青年が主任に色々聞いてみると、主任は適当に台を選んでいるということだった。「玉が飛べば満足だから」ということらしい。玉を3千円分まとめて買うのも、いちいち買い足しさせられるのが面倒だという理由だった。確かに彼女が来店するたびにそんな手間をかけさせられたらそういう対応になるのも当然か…。
そんな一連のやり取りを「面倒だろうな…」と思いつつも、一方で青年は、彼女はこれでパチンコを楽しめているのか? それどころかパチンコ店の餌食じゃないか! という疑問と理不尽を感じた。人間性を失いかけていた青年に、仄かな炎が灯ったのはこの時かもしれない。
そうこうしているうちに、彼女の担当がその青年に移ってきた。なぜかは分からないが、彼女が青年に自分の世話をするように指名したらしい。もしかすると、面倒になった主任がばあさんを言いくるめ、新人にお荷物を押し付けただけなのかもしれない。
いずれにせよ、その役割に対して彼は葛藤することになる。世話自体は良いとしても、元来パチプロというゴロツキをしていたせいもあって、必死に釘を見てしまう習性がある。変なプライドが邪魔をして、平気な顔をしてクソ台に誘導できるような性分ではなかったのだ。そこへ以前浮かんだ疑問と理不尽さへの想いが重なる。これまでと同じように適当な台を選んで金がなくなるまで座らせておくべきなのか?
翌日の朝、必死で釘を睨み、羽物コーナーで一番出そうな台を選ぶ青年の姿があった。そして気付けば、それが毎日の日課となっていった。
開店を迎え小町の姿を捉えると、空き台の中から事前に見繕っておいた台のハンドルを固定し、これまでの1/10、300円分の玉を買う。そしてぶっこみにバネを合わせてセット完了。それから中根小町を呼びに行き、席に座ってもらう。
さて、お膳立てを整えたら後は御勝手に…というわけにもいかない。他の仕事をしていても、中根小町の台が気になってしまうのだ。玉はなくなってないか? 変な打ち方をしてないか? 大負けしてないか? さながら自分自身でパチンコを打っているような気分である。また、出なければ申し訳ないという気持ちで一杯になるし、かといって出てしまえば店に文句を言われないかとヒヤヒヤもした。
一方の中根小町はというと、青年の気持ちなど関係ないとばかりに、無表情のまま台を見つめているだけ。出ようが負けようがお構いなしだ。しかし大当たりをしたときだけは、しわくちゃな顔がもっとしわくちゃになるほどに破顔する。その笑顔が印象的だった。
そんな日々が続いていたのだが、ある日、中根小町が帰り際に青年に声をかける。
「あなたはとっても真面目ね。いつも一生懸命でありがとね。ここんとこ毎日パチンコに来るのが楽しいよ」
その告白があまりに唐突だったため、青年はきょとんとしてしまったようだが、すぐに嬉しさがこみあげ、思わず彼から笑顔がこぼれる。
「ふふ。いい顔してるね。いつもそうしていなさい」
酷い不良客の相手に明け暮れた彼にとって、掛け値なしの笑顔の出番はそう多くはないし、単純に苦手だった。とはいえ誠意を持って働いているという自負はあったため、彼女に褒められたことが素直に心に届いた。自分を見てくれているお客様がいるということが何より嬉しかったのだ。と同時に、自分にそういう一面があることにも驚かされた。いや、気付かされたのかもしれない。
その何気ない一言を契機に、彼は少しづつ変わっていく。役物の電球が切れている台をみつけると、閉店後、他に電球切れがないかと朝までかけて全台をチェック。汚いセル盤を見かけたら、その日のうちに掃除をした。常連の不良客は相変わらず苦手だったが、以前とは違って言葉遣いには気を付けるようになった。
そうした働きが認められ、入社から半年が経過するころに彼は主任へと昇格。そして初めて機械の調整を任された。3台だけではあったが、花鳥風月という西陣のセブン機だ。
釘調整を教えてくれる人は誰もいなかったので、何度も何度も調整しては失敗し、試し打ちを繰り返してはやり直す。たった3台でも、閉店後から調整を始めて納得いくものに仕上がるのは毎朝6時だ。それでも念願の釘調整ができて嬉しかった。
しかし調整が終われば安心というわけでもない。開店すれば開店したで、自分の調整した台を打っている人が気になったし、ハンドルや玉飛び、スピーカーの調子など、あらゆるものが気になってしまう。
そういったこまごまとしたものに気をかけ、また直接お客様から話を聞いていくうちに、いつしか青年は誰とでも笑顔で話せるようになっていたのである。
そうして青年の仕事が順調に回り始めると、そのきっかけを作ってくれた中根小町が急に店に来なくなってしまった。当然その不在が気にはなるのだが、住所も名前も知る由もない。所詮、お客さんと店員の関係などその程度のものだ…。
もやもやとしたまま数日を過ごすと、中根小町の娘という人がホールにやってきて、彼女が亡くなったということを知らされた。信じられないという気持ち、やり場のない悲しみが体を重く包み、彼女とのやりとりが頭を巡っていく。
話を聞くと、どうやら亡くなる前日までパチンコを打ちに来ていたとのこと。そして家ではパチンコについてとても楽しそうに話しているので、家族としては止める気にはなれず、結局最期まで自由にさせていたらしい。
娘さんは、一連のエピソードを青年に伝えると「どうも有難うございました」と深々とお辞儀をして帰ろうとする。今や主任となった青年も「わざわざお知らせいただきましてありがとうございます」と祈りを込めて深く頭を下げる。そしてお互いが向き直り、目を合わせると…
「アタマキタさん...ですか?」
不意に娘さんがこう言うのである。驚きながらも自分が軽く頷くと、「母が大変お世話になりました」と改めてお礼の言葉をいただいた。
「足が悪かった母は、いつもヘルパーさんとここに通っていました。しかし最近は調子が良くなってきて一人で出掛けるようになったんです」
そう言えば確かにそうだ。当初は一緒に来ていたヘルパーさんを最近は見かけないことを思い出した。
「生前、母は『アタマキタちゃんっていうやんちゃな若い店員さんがいるんだけどね。最近その子が私のために頑張ってくれてね。すごく可愛い笑顔をするようになったからなるべくお店に行くようにしているのよ』と楽しそうに話していました」
娘さんからその言葉を聞いた途端、彼の視界は滲んでいた。涙が溢れて止まらなかった。どうしてか分からないがただただ泣けてきた、人目も憚らず。涙を止められなかった。
あれから26年、今もなお自分はパチンコ店で働いている。そして1つ、心の中に大切にしている言葉がある。
「すべての行動は、お客様のために」
この言葉は、上辺だけだといかにも空虚に聞こえるかもしれないが、あらゆる要素がここに凝縮しているように思う。誰かから聞き齧って、訳知り顔で教訓を垂れているわけではない。自分の人生を新たなものに塗り替えたと心から思える言葉なのだ。
ひとりひとりのお客様には人生があり、ドラマもある。働くスタッフだって同じことだ。出会いもあれば別れもある。スタッフにせよお客様にせよ永遠ではないし、この日の出会いが最後かも知れない。
それでも、そんな儚い関係性であったとしても、パチンコ屋という限られた空間だとしても、心に残る想い出がたったひとつでもあれば幸せなんじゃないか、と。そんな想いが、今も自分を支えてくれています。もちろんこれはパチンコ屋に限った話ではなく、あらゆる仕事に通じるものだと思います。
「永遠に心に残る一瞬を大切にすること」
これも自分がパチンコ店から学んだこと。だからこそ「接客」には手を抜いてはならない。ホールに立つ機会はほとんどなくなった今でも、「すべての行動はお客様のために」という言葉を部下に伝え続けています。
どうしようもない店員だった私の心に明かりを灯してくれた「中根小町」に、心から感謝いたします。ありがとうございました。
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