スロットが繋ぐ絆『楽しむこと』があるからこそ元気になれる

シリーズ名
乱のKatariBar (毎週日曜日更新)
話数
第5回
著者
東日本大震災から5年が経ちました。

読者の皆さんの中にはこの年月について思いを馳せた方もいらっしゃるのではないでしょうか?

あの当時を思い出してみると、「こんな時にパチンコやスロットをするなんて信じられない」「あんなにつらい思いをしている人達がいるのに、遊んでいる場合ではない」という意見が世論の大半を占めていました。それに対してホールは営業を自粛。節電対応、支援活動(現在でも継続しているホールもあります)といった動きがありましたよね。

5年間で復興したもの、無くなったもの、変わらずに止まったままのもの。いろいろあります。また、心に大きな傷を負ってしまった人もたくさんいて、「あれから打つことに対して抵抗があり、打てなくなりました」といった話をいまだに聞くほどです。

しかし、あたいは「抵抗」という言葉に疑問を感じる。パチンコとスロットって、そんなに罪悪感を感じなきゃいけないものなのでしょうか?


まず、いまだにパチンコやスロットが"非常識な悪いもの"と認識されているのであれば、それは少し違うと思う。パチンコ・スロットって、世間から忌み嫌われるもののひとつかもしれないけど、そもそもこれって遊技でしょ? 遊びのひとつとしてカウントされるもの。そしてもちろん、何を「楽しむべき」かなんて誰かに決められるものじゃないはず。

もし楽しむということ自体が悪になってしまうのであれば、楽しむものすべてが非難の対象になってもおかしくないよね? それって、やっぱりおかしいと思います。

それなのに、罪悪感が芽生える…っていうのは、なんだかおかしいなって違和感を覚えるのです。震災当初は電気や流通が不安定だったからホールも営業を自粛していたけど、今営業しているホールに対してまで白い目で見るのはどうかなと思う。


アタイはスロットをしていたからこそ、出会えた人達がたくさんいます。そんな仲間たちと「何か出来ないか?」と、先週の日曜日に開催されたチャリティーイベントに運営スタッフとして参加しました。このイベントは、パチンコ・スロット好きのお客さんに集まってもらって『楽しんだ分だけ寄付をする』をコンセプトにして開催されているもの。

開催場所がスロゲーセンなので賭け事とは無縁な場所ではあるのだけど、集まった人たちはみんなパチンコ・スロット好きで楽しそうに設置機種を打っていました。


「乱さん、見て見て!」

そう呼んでくれたお客さんのところに行くと、



美しい菱形のリーチ目。今は亡き、懐かしの大花火。

「これで右リールの青7を狙ってタン・タン・タンのリズムで高速打ちするとBIGが揃うんですよ!」

そこで花咲く昔の話。それからまたすぐに呼び止められる。


「すみません。代打ちしてください」



おっとココから!? _ 戦国乙女(西国参戦編)で乙女ボーナス当選濃厚の場面でバトンタッチ。ボーナス中は乙女ロワイヤルを選択して誰を選ぶか相談。ここでもスロット話で盛り上がる。


こういうコミュニケーションって、共通の想いさえあれば成り立つものなんだよね。同じ思いで集まって、誰かのために何かをする価値って世間体やイメージだけじゃ計れません。パチンコ・スロットを楽しく打つ人が増えれば広がる輪もあるんです。


また現地の人達にとって、パチンコやスロットといった遊技が生活の楽しみのひとつになっている場合もある。ホールに行けば誰かに会えるし、笑顔になれる。仕事が少ない地域にとっては、雇用場所としての需要もあるわけだから。

もちろんパチンコ・スロットを打っていれば、もの凄く負ける時もある。「このお金があれば…」となんて考える時もあるよ? _ でも、そんなことを言ったら自分に使ったお金がすべてそれに当てはまるしね。



アタイが今回のコラムで何を伝えたいかというと、人は『楽しむこと』があるからこそ元気になれる…ってこと。パチンコ、スロットがそのひとつであれば、それはそれでいいんです。

皆さんだって、遊技を通して感じた楽しさがあるはず。元気の源のひとつにパチンコ・パチスロがあって欲しい。

いちスロッターとして『楽しい遊技』を伝えながら、元気を届けたいなと思った乱でした。