おっさんが2-3号機時代の思い出を語る

シリーズ名
世界で1番わかりやすいパチ業界コラム (不定期更新)
話数
第4回

2号機はありえない仕組みがたくさんあった時代

初めて打ったスロットは後から調べたところ、2号機と呼ばれる規定の台だったようです。

それはウィンクルという台で、メーカーは高砂電器産業だったかな?

あぁ懐かしい。

全てはここから始まったのでした。

この2号機ですけど、ここからスロットは現在と同じで完全確率方式になったそうで。

それ以前は吸い込み式だったとか。

打ってないので知りませんけど。

これは要はパチンコと同じ仕組みです。

1回転ごとに乱数を拾って抽選する方式です。

まぁたまにそうとは思えないくらいハマりますけどねぇ…

この2号機では今では当たり前のリプレイがまだ無かったんです。

BETボタンも1BETボタンだけ。

当然3枚掛けするにはそれを3回押します。

ペペペッという感じです。

今でもついやっちゃいますよ、このペペペッて。

まぁ当時はこれが当たり前だったので、今でもMAXBETボタンには違和感がありますわ。

そんな人も多くないです?

絶対に俺だけではないはず(笑)

また、今では1BETで全ライン有効なんて台があったりしますが、当時はどの台も1BETで1ライン、2BETで3ライン、3BETで5ライン。

もちろん3BET専用台なんてものはあるはずもなく。

この頃は友達とビッグパルサーやウィンクル、センチュリー21なんかをよく打った記憶がありますね。

ボーナス中の音楽とか今でも覚えてますよ。

当然全部Aタイプです。

というか、Aタイプが9割で他が1割くらいの割合だったかと。

正にAタイプ全盛期。

今ATやARTが流行ってるのと同じです。

この当時はそんなの無かったので。

このAタイプは今でいうとジャグラーみたいなもんです。

ビッグボーナスで約350枚、レギュラーなら約100枚出るだけで、連チャンもラッシュも一切何もありません。

だってリプレイさえ無かったんだから。

本当にシンプル。

お店自体も今とは違って、今は1台1台にサンドがあるのが当たり前じゃないですか、でも当時はシマの端にあるコイン貸し機で両手いっぱいにコインを借りて走って台に戻って、なんてことをしなくちゃいけない店もあったんですよ(笑)

↑こんな感じで

今じゃ考えられないでしょ?

パチンコの方が先に1台1台にサンドが付いたと思います。

まだパチンコの方が圧倒的に多かったので。

スロットは本当にマイノリティでしたよ。

まだスロット専門店なんてものはなく、当時よく見た光景は、パチンコ店の隅っこの1シマや2シマだけがスロットという状態。

台の種類も3種類あればいい方で、1種類だけなんて店もありましたよ。

それが冒頭のウィンクルとの出会いだった訳ですが。

そうだよ、あの店ウィンクルしか置いてなかったんだよなぁ。

なぜ2号機から3号機に移行したのか?

そして3号機の時代がやって来ますが、別に2号機が外されるようなことは無かったです。

ここから2号機と3号機の混在時代が始まったのでした。

この2つ、実はほとんど規定的な違いは無いんですよ。

なのにどうして3号機になったのか? 

それは2号機や3号機は1つのメーカーから2台までしか出せなかったから(笑)

1メーカーで何台でも出せるようになったのは4号機以降なんですよ。

なので、もう2台出し終わったメーカーだらけになってしまって、3号機が登場したという訳です。ハイ。

この3号機も同じく2台だけだったので、各メーカーとも知恵を絞って作っていましたねぇ。

これは考えたなぁと思わせられるような台も結構ありましたよ。

失敗は許されない時代だったからこそ、出てくる1台1台に魅力があったんです。

今はもう次から次へと何でも出せ出せって感じで、ちょっとねぇ…という台もたくさんありますけど。

6号機になったら、各メーカー3台まで!とかやればいいのに(笑)

面白い台を厳選して開発すると思うんだけどなあ。

どうですか、偉い人(笑)?

今思うとこの頃のスロットが一番面白かった気がしますねぇ、本当に。

そう、当時はフルーツの集中という、決められたゲーム数小役の確率が上がる役があったんです。今のRTみたいなもんです。

これをいいところで入れてうまく作ってたなぁ。スーパープラネットのフルーツゲームとか。

○モノが登場してカオスな時代に・・・

あ、3号機になって1つだけ大きく変わったところが・・・

それは、いわゆる”○モノ”が横行したことに他なりません。

中でも爆裂連チャンタイプの台が人気があって、ボーナスを貯金して一気に吐き出すような仕組みの台をよく見ましたねぇ。

ちまちまとボーナスだけでコインを増やす台に飽きちゃったんですよ皆さん。

それに誰かが応えたといった感じだったんでしょうけどねぇ、今思うとメチャクチャですよ(笑)

結構連チャンしちゃうので、こういうのに慣れちゃうと普通のAタイプに戻れないんですよ、困ったことに。

まぁこのメチャクチャ度合いが3号機の終焉に繋がっちゃった訳ですけど。

さすがにダメでしょ、こんなの。

そういえばこの頃から今でも売られている有名パチンコ雑誌を本屋で見るようになりましたね。

今じゃ台の情報なんてネットで簡単に見られますが、それはもっと先になってからです。

この頃はネットさえ一般的じゃなかったので。携帯電話にカメラもない時代ですよ。

それ以前に携帯自体、持ってる人なんて学生じゃいませんでしたよ。

話を戻して、この○モノの横行が次の4号機を到来させたのでした。

次回!色々狂っていた4号機時代の思い出編

3/25(金)お昼ごろ更新予定!